おおいたっ子 新地町招待企画 福島訪問ツアーレポ②

  • 4.質の高い教育をみんなに
  • 11.住み続けられるまちづくりを

8月22日(月)
釣師防災緑地公園でパンプトラックの体験、防災公園としての役割の説明を聞きました。パンプトラックとは波打ったコースを自転車、スケボーなどでコースを走るアクティビティの事です。このパンプトラックは国際競技にも対応できるレベルのコースで遠くは静岡県からの利用者や公式大会も開催されています。はじめに注意点と簡単なレクチャーを受け、実際にコースを走った子どもたちは、怖がりながらも走り始め、徐々に足を着かずに笑顔でゴールできるようになり、最後には楽しそうな表情へと変わっていきました。

その後、釣師防災緑地公園へ移動し公園管理者の川上さんより説明を受けました。公園はスポーツ、文化活動が行える防潮堤としての役割を持っています。
説明途中、公園の真ん中で川上さんが立ち止まり震災前にここに自宅があったが津波で流されてしまい、被災後数年は様々な思いがこみ上げ、公園に来ることが出来なかったと心の内を教えてくれました。

公園内には「思いの丘」という場所があり、毎月11日には丘にある鐘を鳴らす方がおり、犠牲になった家族を追悼している様子をよく見るそうです。
その他に2011年3月11日にここで津波による大きな被害があったことを知らせる石碑が設置されており、未来に向けたメッセージが記載されていました。「思いの丘」には大分県生活協同組合連合会が寄贈した「豊後梅」も植樹されており、順調に育っておりました。

昼食を挟み、東日本大震災・原子力災害伝承館へ移動しました。移動の際、帰還困難区域を通り、前回訪問時の5年前と同じ風景である誰もいないコンビニ、中に入れないよう板が打ち付けられ飲食店、人の気配のない住宅などの景色が残っていました。原発事故の被害の大きさや解決までに要する時間の長さを感じました。この地域では住人のいない自宅に泥棒が入るらしく、バイク、自転車、徒歩で侵入することが禁止されています。

伝承館へ移動後、発災時小学3年生だった職員に当時の状況を教えて頂きました。友達との下校途中に地震に見舞われ近くの大きい岩につかまり耐え、電線から火花が飛び散る状況にずっと泣き続け、友達の親に家まで送ってもらい、家族と再会しました。その後、原発事故が発生し、同居していた祖父が放射線の影響を考え「絶対に外に出るな!」と言われ、屋内避難警報と聞いたこのない警報でさらに不安になったと鮮明に覚えていたそうです。
その後、東京に一時避難し、帰宅が許可され小学校に戻った時には登校していない同級生がおり、避難先で新しい生活を始めており、お別れの挨拶も出来なかったことが寂しかったと語ってもらいました。

施設で災害、原発事故、県民の不安な思い、長期化する原子力事故の影響、復興へ向けた展示ブースを紹介してもらいながら見学しました。今の福島は「津波の福島」「原発事故の福島」というイメージが色濃く残っており、それを払拭する為に尽力している人が多くいることを感じました。特に復興に向けた展示ブースでは先端技術を使用した計画が立てられ復興の道筋が見えていました。

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